【庚申塔】地元のド田舎に帰ったら自然に飲み込まれていた【石仏】

    2018.12.20

    僕の地元は「僻地認定」というものがされているほどの田舎です。

     

    僻地ってなんぞや。

    調べてみると、『交通条件及び自然的、経済的、社会的条件に恵まれない山間地、離島その他の地域のうち、医療の確保が困難である地域をいう。無医地区、無医地区に準じる地区、へき地診療所が開設されている地区等が含まれる。』とのこと。

    つまるところ、ド田舎、ということです。

     

    そのド田舎が数年を経て更にド田舎になったよ!遊びにおいでよ! という報告を無職の同窓から聞きまして、たまにはゆっくり帰ってみるかと思い立ったわけです。

    改めて実家に帰ってみると、そこはもう「田舎」ではなく「自然」でした。

     

    10年ぶりくらいの散策

    歳をとるとたまに実家に帰っても、なかなか地域全体を見渡すことってないですよね。

    でも、今回の帰省は地元がどれだけ野生化したか、ということを確認するため。実家で一泊して、地元の温泉に浸かり元気100倍になった僕は、スマホと小銭をポケットにしまいこみ、寒空の下スニーカーで家を飛び出しました。

     

     

    はい、ド田舎。

    僕の地元は確かに神奈川県なのですが、立地的には山梨県と神奈川県、静岡県に跨る丹沢山脈という山の麓です。数百人しかいない全人口の8割が後期高齢者。彼らの巧みなよくわからん方言は来るものを驚かせます。あと地域のことを「集落」とか普通に言います。

    今では、地域の戸建ての半分は空き家だそうで、

     

     

    こういう家がたくさんあります。

    わびしい・・・。たまらない・・・。

     

    神社と寺

    徒歩圏に2つの神社と、1つの寺があるのでとりあえずそこを目指します。

     

     

    いい天気。そして人っ子一人いない。

     

     

    電気柵って知ってますか? 主にイノシシやハクビシン対策としてつけられた柵で、触れると感電します。プロレスでそんなのあったなぁ。この電気柵がいろんな畑の至る所で見られます。

    自然と人間との戦いはもう始まっているんだな、と実感しました。

     

    そして一つ目の目的地、御岳神社という小さな神社へ向かいます。

    この神社は、地元の1集落の小山の上にひっそりと佇んでいて、そこへ行くには100段近い階段を登らないといけないのですが、、、

     

     

    なんということでしょう。階段は折れた木や落ち葉、そして分厚い苔で着飾られていました。おそらく9月の台風から掃除はもとより、誰も登ってないんだろう。

    わびしい・・・。たまらない・・・。

    それでも頑張って登ります。

     

     

    御岳神社、到着しました。

    鈴緒の右奥の一つ木で塞がれた襖、あそこにお賽銭を入れるようなシステムでした。まじか、そんなのあったんだ。というか、誰がお賽銭入れるんだろう。。。

     

    神社から下を見下ろすと、こんな感じ。

     

     

    落ち葉の絨毯っぷりが非常によくわかると思います。ちなみに下に見える道路は国道でして、この僻地と街とを繋ぐ生命線です。

    少し休憩して、今度はもう一つの神社、八坂神社へ向かいます。

    国道へおりて、左に5分ほど進んだところで、八坂神社への階段が見えてきました。

     

     

    こちらも心臓破りの階段を丁寧に用意していただいてるんですが、あれ、途中の柵がしまってる・・・。仕方ない、確か裏から回れたはず。

    ということで、そのまま国道を歩いて、奥に入る道を登り、裏から入ることができました。

     

     

    こちらは御岳神社に比べて日が当たり綺麗な感じ。ガラスも貼ってあるし、賽銭箱もしっかり置いてあります。

    チラッと中身を見たところ、5円玉が2枚・・・。これじゃ神様も気合い入らんわな・・・。

     

    しかし掃除は行き届いていて、雑草も生い茂っていません。御岳神社に比べると、自然に飲み込まれている感はそんなに感じませんでした。

     

    そして、八坂神社から麓を眺めた景色がこちら。

     

     

    はい、ド田舎。

     

    でもすごい気持ちがよかった。日が照って、透き通った冬空が遠くの山をはっきりと映すしていました。

     

    そんで、そのあと最後の寺に向かおうとしたところ、

     

     

    ん?

    あれ?

     

     

    あれ?

     

     

    これ「トマソン」じゃん!!

     

    トマソンとは、著者の好きなものの一つで、見つけるとテンションが上がるものです。

     

    超芸術トマソン(ちょうげいじゅつトマソン)とは、赤瀬川原平らの発見による芸術上の概念。不動産に付属し、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物。存在がまるで芸術のようでありながら、その役にたたなさ・非実用において芸術よりももっと芸術らしい物を「超芸術」と呼び、その中でも不動産に属するものをトマソンと呼ぶ。その中には、かつては役に立っていたものもあるし、そもそも作った意図が分からないものもある。 超芸術を超芸術だと思って作る者(作家)はなく、ただ鑑賞する者だけが存在する。(wikiから参照)

     

    もともと橋だった、にしては石垣との段差がおかしいし、使用用途もわからない・・・。これは間違いなくトマソンだ。トマソンに違いない。

    テンションが上がった僕は、そのまま駆け足で最後の寺に向かいます。

     

     

    到着。

    正確には「寺跡」です。100年前に燃えてしまったそうですが、ここには立派なお寺があったそうです。そして、寺の前に石仏が。

     

    おそらく、1700年代のものでしょうか。

    これは、如意輪観音という石仏でして、「財と幸せを与えてくれる」と信じられていた観音の石仏です。右手を頬に当てているのは、「これからどうやって人を救おうか」と考えているからで、如意輪観音の石仏ではまず右手を頬に当てて考えているポーズを取っています。つまり、本当に多くの信仰を集めた仏様なのですが、、、

    100年経ち、200年経ち、、、現代、仏教の教えすら学んでいない輩が、「この石像、なんか歯が痛いっていうポーズとってるな」と勝手に思い込み、できたあだ名が「虫歯の神様」です。これはひどい。

     

    そう、実は俺が田舎に帰省したもう一つの理由、それがこちらです。

     

    家の近くの石仏群

    石仏群に興味を持ち始めたのが、実はここ1年くらいです。石仏の形や種類によって地域差や由来、年代などがわかるのです。日本の歴史なんかには全く興味もなかった僕ですが、昔の宗教観への興味や土地由来の怖い話などが原因で最近めちゃくちゃ調べています。

    そんな中、地元に確か石仏群があったなーと思い出し、それもついでに調べたいと思いたったのです。

     

    そして今回チェックしたかった石仏群がこちら。

     

     

    実家から徒歩10分ほどのところに、12個の石仏が陳列しています。そうそう、あったあったこんなの。

    ということで、端から見てみることにします。

     

     

    六地蔵。

    墓地などの入り口でよく見かけるやつですね。なぜ6体のお地蔵さんがいるかというと、仏教で言うところの「六道(りくどう)」に由来されているそうです。仏教の世界では、人生が終わったあと、輪廻で生まれ変わる先は、「天道(天人の世界。すごいいいところ)」「人間道(この世界)」「修羅道(阿修羅の世界。忿怒と争い)」「畜生道(動物の世界。本能)」「餓鬼道(餓鬼の世界。飢えと空腹)」「地獄道(地獄。罪の償い)」という6つの世界に転生される、と言う教えがあります。

    最近流行ってる「転生モノ」は多分「人間道」か「修羅道」でしょうね。

    ちなみに先ほどご紹介した「如意輪観音」は「天道」の仏さまです。

     

     

    そしてこれ。

    最初僕は、道祖神? と思っていたのですが、横を見て見ると、なにやら文字が。

     

     

    「奉納(?)経百なんちゃらかんちゃら」・・・うーん読めん。

    なんか見る限り、道祖神とはちょっと違う気がするぞ。

     

    そして、隣。

     

     

    手が6本、そして見えにくいですが、下に三猿が掘られています。

    これは青面金剛(しょうめんこんごう)という夜叉神です。夜叉神とは鬼神でして、六道で言う所の「阿修羅」に分類されるっぽいですが、修羅道の観音である十一面観音とは関係ないと思います。。

    ということは・・・と

     

    左面を確認すると、「奉造立庚申供養」「施主當邑」「講中」

    右面を確認すると、「明和二乙酉天六月吉辰」

    おお、、、。

    これです。これを写真に納めに来たんです!

     

    まず、説明できるところから簡単に説明すると、「明和二乙酉天六月吉辰」 とは西暦換算で「1765年6月吉日」ということになります。この石仏が建立された日付ですね。今からなんと250年以上前のこと!いやー、うちの地元にも、こんな歴史的オブジェクトがあるんじゃん、やっぱり。なんか誇りが持てますねぇ。

     

    そして、「奉造立庚申供養」と書かれているということは、これは「庚申塔」というもので、仏教の中の一つである、庚申信仰というものに由来します。

    仏教はインドから東南アジア、中国を伝搬して日本に入ってくるので、日本に来るまでに様々な信仰の変化があります。「庚申信仰」は中国で作り出された仏教の信仰の一つでして、本尊の「青面金剛」も中国で作られた夜叉神です。庚申の「申」は干支で猿ということもあり、三猿が掘られるバージョンもあるとのことです。今回のもそうですね。

    ただ、日本で神道と合わさり、神道として作られた石像の場合は「猿」ということで古事記に出て来る「猿田彦神」が掘られています。

     

    そんで、この庚申塔が建てられる理由は基本的に全国共通で、「庚申講」を3度行った証なのです。

    以下、うろ覚えなので話半分で聞いてもらえればと思うのですが、干支を使った日本の暦では、「庚申」は60日に1日のペースでやって来まして、その夜はなんか悪い魔物かなんかがやって来ると信じられていました。そこで、庚申の日には村中の人が一軒家に集まり、夜が明けるまで念仏を続ける、という習わしが流行っておりました。これが「庚申講」、または「庚申待ち」というものです。

    これを3回行った集落では、「庚申塔」を建てることが許され、青面金剛様に村を守って貰えることになります。

     

    まとめ

    つまり、うちの地元は六道で言う所の「天道」から「如意輪観音」が、「修羅道」から「青面金剛」が村を守ってくれていたっぽいです。

    いやあ、やっぱり節操ないなぁ、昔の人は。救ってもらえるなら誰でもいいという、ね。笑

    でもですね、今から250年以上前に、この田舎で真剣に庚申信仰が行われていて、60日に1度この田舎のどこかの家でみんなが集まって朝まで念仏を続けていたと思うと、本当に感慨深いですね。

    しかも、そんなに古くからの歴史を持っているこの片田舎も、とうとう自然に侵食されようとしているという、この諸行無常感。たまらないですね〜。

    しかし、環境破壊だなんだと騒いでいる人間は滑稽だなぁと思いました。自然は人間が思っている以上に強いのです。そして今まさに、その脅威に直面しているわけです。

    自然も仏教も庚申信仰も、調べればどんどん面白くなります。皆さんも、地元の消えてしまいそうな文化を、今のうちに調べてみたらいかがでしょうか? もしかしたら、自分の知らない自分のルーツがわかったりするかもしれませんよ。

     

    と、いうことで、最後に、自分の知識の出所を記しておきます。参考までに。

    「火の鳥/手塚治虫」

    「漫画でわかる日本の歴史」

    「双子/師匠シリーズ」

    うーん!!えらく熱く語って起きながら、知識の出典が全部世俗的!!

    この記事を書いたライター
    咳戸

    大手広告代理店から独立し、不動産事業や投資等で
    莫大な資産を得る人生を日々夢見ながら家でゴロゴロしている。
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